柳宗理の初期の代表作である『松村硬質陶器N型シリーズ』は、柳が松村硬質陶器株式会社と手を組み1946年頃から1948年頃までにデザインした『松村硬質陶器シリーズ』のうち、ポットを改良した新型(N型)を含むもので、戦後の日本におけるグッドデザイン運動(商品の品質向上と近代的な生活の実現を目指した運動)の隆盛にのって広く流通しました。
『松村硬質陶器N型シリーズ』は、装飾を排したシンプルで機能的なフォルムをもつ日常のテーブルウェアであり、それまでの国内市場で主流であった華やかな模様付きの陶器とは一線を画していました。
戦争により日本のものづくりが大きな打撃を受け、大量生産の製品に対し日本でも徐々にデザイン振興の機運が高まる中、松村硬質硬質陶器の『N型シリーズ』が発表され、さまざまな雑誌や新聞で取り上げられ、人気を博すこととなっていきました。
一方で多孔質ゆえにわずかに吸水性があり、通常の陶磁器では接地面の高台(糸底)部分を脱釉するのに対し、硬質陶器の場合は濡れた食卓に置いた際の吸水を防ぐため、高台を含む接地面全体を釉薬で覆う必要がありました。そのためプレートはリム裏側の3点をピンで支えて吊り焼きし、脱釉部分を最小限の点だけにとどめる工夫が施されています。
しかしこの素材は、吸水や空気中の湿気を無釉部分から吸排しやすく、その膨張収縮に釉薬(ガラス層)がついていくことができず貫入が生じやすいという側面もあります。
素材の特性を理解した設計、デザインに調整することも求められました。
柳宗理ボーンチャイナシリーズの誕生
1982年に同社が企業吸収合併による廃業のため廃番となっていましたが、1990年に当時の西武百貨店のプライベートブランド・JC「Japan Creative」より、素材を透明感と強度を備えたボーンチャイナに変えて復刻されました。そして、その製造を担ったのがNIKKOでした。
ボーンチャイナは吸水性がないため、高台を付けた従来の脱釉方法が可能であり、逆に吊り焼きはできないといった硬質陶器とは異なる性質を持ちます。柳宗理監修のもと、こうした素材特性に合わせた形にデザインを改良しました。
さらに販売がJCから佐藤商事と柳ショップに変わった後も、戦後日本を代表するテーブルウェアとして今に続くまで愛されています。

ボーンチャイナシリーズが誕生してから一貫して製造を担ってきたNIKKOは2021年より柳デザインとの間で新たに製造販売契約を結び、この「柳宗理ボーンチャイナシリーズ」の販売を開始いたしました。
2024年には『N型シリーズ』のアーカイブから新たに、デザインのディテールにこだわり抜いて、プラター 32cm・サラダボール 13cm・23cmの3アイテムを追加で復刻いたしました。
柳宗理のものづくり
柳宗理のものづくりは、使い手の視点に立ち、手で模型をつくり、試作品をつくり、実際に使い調整を繰り返す、 といった試しながら考えるデザイン手法でつくられています。
そうしたプロセスを経て完成された柳宗理のプロダクトは、使う人の手になじみやすく、長く使えるものになっています。
写真は、1956年に柳宗理がデザインしたバタフライスツール(天童木工)。
柳宗理 ボーンチャイナシリーズ商品一覧
左上より) クリーマー、シュガー、ポット、アメリカンコーヒーカップ&ソーサー、コーヒーカップ&ソーサー、ティーカップ&ソーサー、デミタスカップ&ソーサー、 23cmプレート、19cmプレート、17cmプレート、 19cmボール、15cmボール
シリーズの象徴的なアイテムのポット
長く愛されてきたアメリカンコーヒーカップ
使いやすい15cmボール
新たに追加された3アイテム
2024年、オリジナルデザインをもとに3アイテムを復刻しシリーズに追加いたしました。
硬質陶器からボーンチャイナに素材を変えることで製造方法にも変更が生じるため、柳工業デザイン研究会監修のもと、オリジナルには無かった高台をボールにつけることになりました。
横から見た時の外観や持った時の手触り、カーブのラインの滑らかさなどオリジナルに近づけるプロセスで何度も試作を重ね完成させました。
左より) 32cmプラター、 23cmサラダボール、 13cmサラダボール
常設展示
作品や空間を通して柳宗理のデザインにおける考え・姿勢を知る 常設展示室です。
〒920-0902 石川県金沢市尾張町2丁目12番1号
開所時間:9:30~17:00
休館日:毎週月曜(但し月曜が祝日のときは開所)
入所料:無料